理事長挨拶:学園創立90周年を迎えるにあたって
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理事長
高木 千明
創立者
初代理事長
高木 章
初代理事
大野 伴睦 -
国際短期大学の設置法人である学校法人国際学園は、元衆議院議員 高木章(当時は専務理事)が昭和8年に当時としては画期的ともいえる無線通信士・無線技術士の養成のために創立した中野高等無線電信学校に遡ります。中野高等無線電信学校の初代校長には、後に逓信大臣・東京市長となる頼母木桂吉先生をお迎えしました。入学者数は年ごとに増え、今日でいうところのマーケティング戦略により全国各地に学生募集が及んでいたことから、学生寮の拡張が急務となり、校舎増設はもとより、学校周辺に寮施設の建設・増築も相次いで行われました。
無線通信士の養成は時代のニーズを的確に捉えた実践的職業教育であり、中野高等無線電信学校の発展により学園の基礎が築かれました。昭和16年には中野学園中学校(後の中野電波高等学校)も併設しましたが、太平洋戦争の拡大に伴って昭和18年に中野高等無線電信学校は軍部に接収され、しばらく閉鎖せざるを得なくなりました。
昭和20年に終戦を迎えると創立者・高木章は太平洋戦争に思いを巡らせ、「この戦争は世界の国々との意思疎通が不足していたがゆえに招いた不幸である」との考えに行きつき、「これからは世界の国々の人々とコミュニケーションを図れるよう教育をしなければならない」と痛感し、昭和21年に国際外国語学校(後の国際短期大学英語科)を設立します。
昭和26年には財団法人国際学園を組織変更して学校法人国際学園を設立し、創立者 高木章が初代理事長に就任するとともに、自由民主党副総裁・衆議院議長を務めた大野伴睦先生に初代理事にご就任いただきました。また、中野高等無線電信学校を再開することとなり、郵政大臣を務められた小沢佐重喜先生に校長にご就任(後に大野伴睦先生が就任)いただきました。その流れは、やがて国際短期大学電気通信科へと引き継がれていきます。
昭和30年代から40年代後半までの我が国は高度経済成長の時代であり、国土開発事業が活発となり、測量技術者の要請が急務となったことから、時代のニーズを的確に捉えた実践的職業教育として昭和43年に東京測量専門学校を設立しました。その後も、外国からの留学生が日本の大学で学ぶために日本語を修得する専門学校として昭和53年に国際学園日本語学校を設立しました。
本学園は、90年前の創立当時から、職業教育を中心に社会から求められる知識やスキルを踏まえた教育を提供してきました。とくに英語教育については、国際外国語学校を設立して以来、77年の伝統を誇り、最もノウハウの蓄積された教育分野でもあります。
現在は、旅行・観光分野の仕事を目指して英語やホスピタリティを学ぶ国際コミュニケーション学科となっていますが、1学年の定員が150名という小規模校の強みを活かし、「一人ひとりと向き合った個人別指導」をベースに初年次教育を充実させ、社会環境の変化に対応した「英語スキル」「ビジネススキル」の両面でのスキル向上を目指します。特に習熟度別英語クラスを軸にした腰を引くことなく積極的にコミュニケーションを取る「使える英語」と、就職への意欲を喚起するための「体験型教育プログラム」を充実させています。
社会がめまぐるしく変化する今日、ビジネス社会における時代のニーズを的確に捉え、国際短期大学は人材育成の高等機関として、さらなる社会の要請に着実に応えていきます。